田原(たはら)城

2015年8月16日撮影


別名:

巴江城

 

所在:

田原市田原町巴江

 

交通:

 

歴史:

室町中期に戸田宗光が築いた城で、築城当時は海岸線が城の間際まで入り込んで、巴型の堀として機能していた事から巴江城とも呼ばれていた。

 

戸田氏は八幡太郎義家を先祖とした家系で、戸田宗光は正親町三条家から戸田家へ養子で入ったとされる戸田実光の息子であり、松平信光(徳川家康の祖先)の娘を娶った。

 

伊勢貞親に仕え、正親町三条の領地であった三河上野(現在の豊田市)に移り住み上野城を築いた後、東三河一帯にも勢力を広げ、一方では知多半島の河和城を中心とした知多半島東岸、さらには渥美半島にも進出し田原城、二連木城を築き一大勢力となっていった。

 

その後、戸田康光の代になり、岡崎城の松平氏から人質として駿河の今川家へ行くことになった松平竹千代(後の徳川家康)を道中で奪い取り、織田家へ引き渡したため、今川義元の怒りを買い田原城は落城、康光も戦死した。

 

田原城には今川氏の城代が入るが、桶狭間の戦いで義元が討ち取られると、松平元康の支配下となり、酒井忠次の指揮下に入った。家康の関東移封と共に池田輝政の領地になるが、関ヶ原の戦いの際に岐阜城を落とした功績により姫路へと加増移封され、徳川幕府の下では東三河の主要な城と同様に譜代大名である戸田氏(家康の異父妹を娶った事で一族扱いとなる)が入り、それ続いて三宅氏が治める事になった。

 

◆現在:

明治維新の際に多くの建物は取り壊されたが、石垣などは当時の物が現存している。

二の丸には博物館が建ち、本丸は巴江神社となっている。


城門を入ってすぐ左手に二の丸櫓が存在する。