長沢城から見た観音堂城跡
2017年11月1日撮影
◆別名
◆所在
豊川市長沢町午新133
◆交通
◆歴史
観音堂の由来は、長沢松平家初代の親則が城内に御堂を建てた事が始まりで、実質的には長沢城の一部と言っても過言では無いと考えられる。
天正18年(1509年)徳川家康の関東移封に伴い、長沢松平家の九代目康直も武蔵深谷へ移る際に、家臣の近藤新十郎に古城観音の管理を委ねたと言われている。
◆現在
長沢小学校の西側にある高台に観音堂が残されているのみである。